習慣が、時に選択肢を、世界を狭める

4という数字を避けて生きてきた。

祖母が、「4という数字は縁起が悪い」と幼い頃から僕に吹聴してきたからだ(うちは祖母の発言力が大きいので)。

 

何か4つ欲しいときは3つか5つにしてきた。

4つ食べたいときは3つで我慢するか、頑張って5つ食べてきた。

1~5の数字を選ぶ時、できるだけ4は選ばないようにしてきた。

 

しかし最近、「どうしても4を選ばないといけない」みたいなシチュエーションが偶然続いた。

するとどうだろう、4を選んでも全く問題ないどころか、むしろ都合よく事が進むとさえ感じるのである。

そう、「4をという数字を避ける」という習慣が、選択肢を狭めていたのだ。それどころかその習慣に自分は最適解を奪われていたような、そんな気さえしている。僕は4が大好きになった。

 

習慣が、時に選択肢を、世界を狭める。

ところで、5という数字は美しい。